12月31日に放送される『ゴチになります!SP』への参加者32人が発表されましたた。
その中にはパリオリンピック金メダリストの名前も並んでいました。
今回はその中から東京オリンピック レスリング 女子フリースタイル50kg級で金メダル、2024年パリオリンピックでは銅メダルを獲得した、須崎優衣さんについて調べてみました。
この記事では須崎優衣さんの
- プロフィール
- 家族構成(父親・母親・姉)
がまとめてあります。
須崎優衣さんのプロフィール
須崎優衣さんの家族構成は?
須崎優衣さんは両親と4歳年上の優衣さんの4人家族です。
実家は、千葉県松戸市にあります。

須崎優衣さんの父親・須崎康弘さんは会社経営者で実家は裕福?
優衣さんの父親・康弘さんは株式会社デンタルネットの代表取締役です。
株式会社 デンタルネットは高齢者、障害者を対象とした訪問歯科診療を中心に幅広く支援する会社です。
もともと銀行に務めていたそうですが、スポーツクラブで出会った歯科医の独立を手伝うことがきっかけで財務担当として、デンタルネットの立ち上げに協力し、その後、鹿野さんの跡を継ぐ形で社長に就任したということです。
https://www.kfc-fashion.jp/friend/420.html
お父さんが経営者なので、優衣さんの実家はお金持ちではないかと考えられます。
また、康弘さんもレスリングの選手でした。
父・康弘さんと姉・麻衣さん(2018年スポーツ科学部卒)は、共に早稲田大学レスリング部出身で、康弘さんはOB・OG会「稲門レスリング倶楽部」の役職者でもあります。今も3人でLINEや電話でレスリングの話をすることもよくあるそうです。
引退後も仕事のかたわら長年指導にあたってきた経歴を持ち、優衣さんは父がコーチを務めるクラブで小学1年生のときにレスリングを始めました。
ここまで見ると、優衣さんもレスリング選手になるべくしてなった、レスリング一家なイメージがしますが、両親とも優衣さんにレスリングを強要するようなことは全くなかったそうです。
母・和代さん
お母さんの和代さんは一般人のため、詳しい情報はあまりありませんでした。
しかしインタビュー記事などに度々答えていたり、優衣さんのSNSでも写真で登場しています。
また優衣さんの成人式のときにはお母さんの振り袖を着たということです。
お母さんも裕福な家庭の育ちなのかもしれませんね。
母の和代さんも競技に格別の思いはなかったそうです。
「幼稚園の年中からピアノを8年間、小学1年生から4年生まで水泳もやっていましたし、レスリングは体力作り程度の位置づけでした。家の中に練習環境を整えて、みたいな選手のご家族の話も聞きますが何もなく、家ではレスリングは話題にすらなりませんでした。練習も週1回、5年生のときで3回ほどです」
https://number.bunshun.jp/articles/-/850284
姉の麻衣さんもレスリングの大会で優勝する実力!
優衣さんは美人姉妹としても有名です。
姉の麻衣さんは優衣さんの4歳年上で、幼い頃から姉妹でレスリングに取り組んできました。
2015年の東日本学生女子選手権で優勝した実力も持っています。
ここでお姉さんの麻衣さんの成績をまとめてみました。
- 2009年全国中学生選手権 3位(41キロ級)
- 2013年クリッパン女子国際大会 3位(48キロ級)
- 2015年東日本学生女子選手権 1位(48キロ級)
- 2016年全国社会人オープン選手権 3位(48キロ級)
- 1017年全国社会人オープン選手権 2位(48キロ級)
国内だけでなく国際大会でも良い成績をおさめていたことがわかります。
優衣さんの挑戦を身近で支えてきた姉の麻衣さん。オフの日は買い物やパフェを食べに出かける仲良し姉妹。
そんな姉の麻衣さんが東京オリンピックで金メダルを獲得した優衣さんに宛てた手記があります。
優衣、おめでとう。そして優衣の金メダルが私の夢でもあったので、実現してくれてありがとう。開会式の行進で良い顔をしていたから、きっとやってくれると思っていたよ。
私は小学生で一度レスリングから離れたけど、優衣が始めたからまた一緒に頑張ろうって気持ちになれました。最初の頃は練習中にトイレやカーテンの後ろに隠れて遊んだり、本当に普通の女の子で、まさか五輪でメダルを獲るような選手になるとは思わなかったよ。2人とも日曜の練習帰りに連れて行ってもらうお寿司が楽しみで通っていたよね。でも、負けず嫌いで努力家なところは変わってない。4歳違う私とは体格差もあったのに勝つまでスパーリングをお願いしてきたし、腕立ても腹筋も言われた回数より必ず1回多くやっていた姿はよく覚えています。(略)
最初は私も負けていられないと思っていたけど、少し遠い存在になって、ライバルというより応援したい気持ちが強くなりました。寂しさはなくて、本当に成長が楽しみだったよ。
緊急事態宣言は優衣が家に帰ってきて、大変な時だったけど久しぶりに家族4人そろって楽しい時間でした。弱音を吐かずに部屋で黙々と練習して、私にも何かできることはないかと土日は一緒に階段ダッシュや打ち込みをしたね。優衣が五輪に向けて努力をし続けてきたことは知っています。
自身は卒業後に競技を離れたが、最終調整では必ず相手として声がかかる状態。年に数回の出番に備えて体重をキープし、普段から週3回のジム通い。筋トレやランニングで体づくりに努めてきたということです。
現在は一般企業に勤めているということですが、妹とのスパーリングの翌日は全身、筋肉痛になりながら出社する。
体にあざができて同僚に心配されたこともあった。それでも「妹の夢がかなうことが私の夢。連絡が来なくなったら、もう終わりだなくらいに思っているので、役立たずにならないように準備しています」。献身的なサポートで2度目のオリンピックも良い成績をおさめたということですね。
家族みんなで優衣さんを支え、応援していることが伝わってきます。
まとめ
- 須崎優衣さんの家族構成は、父親・母親・姉・優衣さんの4人家族
- 父が経営者で、実家は裕福である可能性が高い
- 姉の麻衣さんもレスリングの実力者で現在も優衣さんのサポートのためにトレーニングを欠かさない
ということがわかりました。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
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